ルールを作る構造軸と社会的な配慮軸
マネジメント思考の講義を受けた備忘録を示す。nodeはジャパニーズトラディショナルな会社で長く、ISOに携わっていたのでマネジメント⇒システマティックなものという印象だった。
昨今ダイバーシティとかリーダーシップとか、マネジメントを語る上でシステムではない所が脚光を浴びるようになって、自分の身の回りでシステム軽視が進むようになった事に嫌悪感を持っていた。嫌悪感というと少し言葉が強いかもしれないけれど、nodeの会社では、技術や工場では基本ISO取得を義務付けられていたけど営業所や本社は取得しておらず、けれど会社の中で自分にマネジメント云々を語りかけてくるのは基本、後者に長く在籍していた人で……良く言うなぁと内心冷めた目で見ていた。とはいえ、自分自身が会社の中でマイノリティなので、システマティックから逸れる時代の流れは歓迎すべきで、乗りこなすべきなんだろう、とは分かっていながら(システムを軽視することは)自分には無理だ、と、そう思っていた。
マネジメント思考の講義の中で、リーダーシップは「ルールを作る構造軸と社会的な配慮軸の2軸の統合」であると聞いた時、ストンと、持っていた嫌悪感が消えたような気がした。そうか、私が聞かされたマネジメント云々はただの配慮軸の話だと割り切れば良いのだ。相手がどう考えているかは、別として。
ただ「配慮軸のみの話を聞いている」と思えば、腹が立たないのではないか。
「マネジメントの話を聞いている」と思うから腹が立つのではないか。
「構造軸に比べ、自分には配慮軸が圧倒的に不足している」という事を、自分が認識すれば、相手がどう考えているかは別として(大事な事なので二度示す)自分とは違う経験や価値観を持つ相手とも、もっと前向きに、建設的に話が出来るのではないだろうか。
きっと、多分。講義をしてくれた先生の意図した理解ではないと思うけれど。
そう感じた事が一番印象に残っている。
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