余(あまり)を持つ

余(あまり)を持つこと 足るを知ること

どんな人間でいたいか、どんな母でいたいか。なんとなく哲学的な事を考えてみる。というのもブログを始めたきっかけである、不安だった出産を大きな問題なく終えることが出来た。

入院明け、娘に何事もなく会えた喜びに玄関で号泣したのも良い思い出に出来るくらいには、息子もひとまず元気に過ごしてくれている。ありがたい限りだ。新生児はふにゃふにゃでミルクの匂いがして、にんまりと無意識に笑って、何かを訴えるためだけに泣く。可愛くて幸せな五感を与えてくれる。反面、娘は言語を理解し、下の子が出来た嬉しさと構ってもらえない寂しさの葛藤に藻掻いている様子。二人目を欲しがって不妊治療を自ら続けた癖に、家の事も家族の事も上手く回せぬ己はなんて自分勝手なのだろうかと、自己嫌悪に陥る夜がある。そうした夜を救ってくれるのはいつも娘だ。

退院して家に帰ると、娘が夫に頼んで花を買ってきてくれていた。私が好きだといった色の花と娘がお店で一番可愛いと娘がおもった花を選んでくれた。押し花に出来ないタイプの花だったので沢山写真をとってお気に入りをSNSのヘッダーにした。多分、これ以上人生で嬉しい花束はないと思う。それ位嬉しくて、自己嫌悪に陥る夜も写真を見ては幸せを噛みしめている。

どんな人間でいたいか、どんな母でいたいか。娘や息子に恥じぬ生き方をしていたいと思う。自慢には思って貰えぬでもリスペクトは出来る親でいたいと思う。自分の両親を大きくリスペクトしているところは基本的に同じかもだけど、2つあって、自分もそうあれたらと思う。義両親や夫には、よそ様に自慢出来る所が沢山あって、両親よりこちら側を見習うべきなんだろうなぁと思ったりはするのだけど、やっぱり自分らしからぬ感じもしてしまう所(自分とは少し遠すぎて目標とかにはしにくい感じ…上手く言語化できないのもどかしい)があって、今は、とりあえず自分の両親を指標にしようと思っている。

恥ずかしくて本人たちに伝えてはいないけれど。もう少し、娘や息子が大きくなったら。育児をする上で心がけていた2つのこと。両親へのリスペクトを伝えれたら良いなと思う。

「余(あまり)を持つこと」:無理はしない、余裕や余白、余地をもつことを心掛けること

「足るを知ること」:現状にまず感謝をすること、他人と比べるのではなく己と比べること

自分を構成したのは、やはり両親なのだと実感せざるを得ない。「捨」てない為の努力が好きなのは父母譲りなのだ。

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